孤独をかき消すのをやめたら、心が落ち着いた日

夫が転勤で引っ越して1ヶ月。一時的に遠距離結婚状態になりました。ひとりで過ごす時間が多くて、悲しくて、寂しくて、孤独で…。夫に会いたくて、話したくて仕方ない日々を過ごしています。

いつまた会えるのか、これから先の未来が見えないなかで、どうやってこのこみ上げる寂しさや孤独と折り合いをつけたら良いのか、どうこの気持ちを乗り越えたら良いのか、迷って、戸惑っていました。

動きを止めてしまうと、ふいに寂しさが襲ってきて自分を飲み込んできてしまう気がして、ずっとyoutubuで深夜ラジオを聴いたり、映画をつけたりと音を耳に染み込ませて紛らわせていました。

そのほかにも、甘いものを食べたり、お酒を飲んだり、いろいろと寂しや孤独を遠ざけようと試みましたが、正直どれもうまくいきませんでした。全く効果がないわけではありませんが、夫と電話をしていると会いたい気持ちが溢れてきて寂しくなったり、二人用のベットに寝っ転がるとふいに夫のことを思い出して悲しい気持ちになったり…。

どうしよう、乗り越えたいと思っていたとき、ひとつの記事に出会いました。tellingというwebサイトに掲載されていた漫画家の鳥飼茜さんのインタビュー記事「寂しさは結婚しても埋まらない。孤独と向き合う方法は今も模索中です」です。

そのなかで、心にふっと明かりをもたらしてくれたのは二ヶ所。

まずは、

でもじゃあ、その不安を根本から救えるのが果たして結婚なのか?という疑問は感じます。人間が根源的にもっている「生きていることは孤独」「夜中に寂しさで発狂しそう」みたいなものは、ずっとあり続けると私は思います。

というところ。

結婚をしたからといって、自分の心にある孤独が、すべて解消されるわけではないということです。
確かに、私の場合でも、夫にまた会えたとしても私自身の孤独や寂しさが永久的に解消されるわけではありません。夫は私にとって最高のパートナーです。心は一番近くにいるつもりですが、一緒の存在になれるわけではなく、ただ横を歩いて、人生をともに歩む相棒にすぎないんですよね。

自分の人生はあくまで自分ひとりで歩むしかない。生まれるのもひとりだし、死ぬときも同じ。人生を歩み続けるかぎり、孤独はともにある。前にも同じようなことを思ったのに、つい忘れてしました。

今感じている孤独は、夫の不在でいつもよりちょっと強調されただけの、私の人生に寄り添う孤独なのだと思えました。そう捉えると、夫に会いたいという焦る気持ちよりも、まずは孤独と向き合って自分の人生を自立して歩こうと思えます。

それからもうひとつ

寂しさの解消のための代替行為は、実は「寂しさの部屋」とは別の部屋で行われているもので、根本の解決にはならず、紛らわせれば紛らわせるほど、『欠乏』につながっていく

小池さんが言うには、「寂しい」は自然に生まれる感情でしかないから、真正面から見ているうちに消えてなくなる。消えるまでそれとただじっと向き合うしかないんだそうです。

というところ。この箇所は、住職・小池龍之介さんが解説された「寂しさ」についてのコラムをもとに、鳥飼さんが解釈されたそう。

人生を歩む上で、切っても切り離せない「孤独」や「寂しさ」は、紛らわそうとしても、根本の解決にはつながらないという考え方があるのですね。

これは目からうろこでした。私は、孤独や寂しさをとにかく遠くに押しやることができないかないかと、いろいろと悪戦苦闘してきました。それでも孤独な気持ちを押しやることはできなかったんですよね。

そこで何の音もかけず、活字も追いかけず、目を閉じて、自分の心に寂しさの部屋があるところを想像してみました。その部屋が少し広がってしまって、幸せや喜びといった良い気持ちを圧迫しているのかもしれない…。そんなところをイメージしたのです。

するとほんの少しだけ、寂しい気持ちが減った心地がしました。youtubeの音を切って、料理をすることもできました。寂しさを紛らわす工夫を考えるのではなく、孤独な思いに耳を傾けることが、今の私には大切なのかもしれません。

今日の朝はどうしようと戸惑っていたのに、昼間に偶然見つけたインタビュー記事が、自分の悩みの解決の糸口を教えてくれました。またインタビュー記事が掲載されているWebサイトもおもしろく、ご紹介した記事以外にも共感できるものを見つけました。

なんだか、また生きていく気力、人生を歩もうという気持ちが湧いてきました。