二重の虹が空にかかった日

先日、急激な豪雨のあとに、東京の空に二重の虹がかかった。虹をみたことはあるけれど二重の虹ははじめて見た。

ビルの間を縫うように、私の部屋から見える綺麗な虹。コロナウイルスの影響で落ち込み続けている私の心に、ちょっとだけ幸せな瞬間をもたらした。大切な人と一緒に、この虹を見られたらどんなに素敵なんだろうかと思った。

前に本で、何かをもっていない人はそれを得ようとしてジタバタしているし、何かをもっている人はそれを失うんじゃないかと思ってビクビクしている、だからみんな同じなんだという一説を読んだ。

読んだときには、正直あまり理解はできなかったと思う。でも人生のパートナーを得る結婚で考えた場合、私は、この言葉の意味を最近少しだけ理解できたように思える。

恋人や理解者がいないときには、なんで自分のことを愛してくれる人がいないんだろうとジタバタして、落ち込んで焦っていた。でも今の夫と出会って結婚して、幸せな気持ちになったけれど、その後はもし夫がいなくなってしまったらどうしよう、不慮の事故で目の前からいなくなってしまったらと、夫を失うことへの怖さもときどき感じる。

たぶん私は、変に頑固なところがあって、その一種の執着のような気持ちをいつも手放せないんだろう。だから、現実をそのままに一旦受け入れることができない。欲しいものは欲しいし、今もらえなくても自分の努力で将来は得られるだろうという確信が欲しい。

学校生活では、基本的には欲しいものは手に入る。良い点数がもらえるように勉強する。入りたい会社に就職できるように入念に準備する。でも、社会に出たあとは、自分でコントロールできることのほうが少なくなる。そこに急なギャップがある。私は典型的な優等生のタイプで、その変化に馴染めない。優秀ではないので、うまく適応もできない。

自分にぴったりと合う会社に運よく入れれば、そのままぬくぬくと暖かい。でもそこから抜け出すと、一気にうまく振舞えなくなる。そこではテストの点数が高いとか、事前にコツコツ準備するとかそういうことよりも、バランス感覚や手の抜き方、自分の意見を主張して通していくことが求められる。

私は結局ハードルを飛び越えられずに縮こまって、レースから離脱してしまった。そんな私でもいまは穏やかな毎日を過ごしているのだから本当に幸せなこどだと思うけれど、ときどき、どうやったらあのハードルを飛び越えられたのか、あのレースにもう一度戻るべきなのだろうかと過去を思い悩むことがある。

でもきっと、手放したまさにその地点には戻ることはできなくて、私はあのときとは全然違う場所に立っているのだと思う。見える景色が全然異なるこの場所で、もしかしたら普通の人が脇道だと思うかもしれないこの場所で、どうやって自分の道を見つけていくのか、どのようにしたら前に進んでいけるのか、そんなことを日々考えている。